トヨタコネクティッド20周年企画連載 虹を架ける仲間達

第4章

1.暴風雨の中、新たなスタート
―テレマティクスからトヨタスマートセンターへ

2000年10月に創業したガズーメディアサービスは、2003年4月にデジタルメディアサービス、2008年2月にトヨタメディアサービス、2017年7月にトヨタコネクティッドと社名を変えてきた。「それだけ事業やビジネスモデルが大きく変化していた」と友山は述べているが、創業から20年間で4回も社名を変えたことになる。
この中で、大きなターニングポイントは、2008年に、トヨタメディアサービスと、頭にTOYOTAを名乗ったことだろう。名実ともに、トヨタグループの戦略事業会社として新たなスタートを切ったのである。いままさに「インターネットと自動車事業が融合する時代」が到来しようとしていた。この状況を自動車レースに例えるなら、ちょうど最終コーナーに差し掛かった辺り。このコーナーをうまく回りきれば、あとは直線コース。一気に加速していくだけである。しかし、現実はそう甘くはなかった。なぜなら、それからの3年間は、リーマンショックで始まる世界経済危機、さらに、トヨタの品質問題、そして東日本大震災と、まさに暴風雨下のレースとなったからである。
本章ではその直線に入る前の最終コーナーでの挑戦と模索、あがきについて紹介する。

インターネットとクルマの融合

1996年の業務改善支援室で始まった限りなくカスタマーインへの挑戦は「ITでお客様との接点を拡大する」取り組みに発展した。その背景には「将来、インターネットと自動車事業が融合する時代が来る」という確信があった。しかし、当時のトヨタからすれば、「ITやインターネットなんてものはシステム会社に任せておけばいい。自動車メーカーのする事業ではない」という考え方が根強かった。そんな社内からの冷ややかな評価に対して、彼らはGAZOO、e-Tower、G-BOOKそしてe-CRBと次々に革新的な事業を生み出し、着実に成果を積み上げてきた。それは地を這い、泥にまみれながらの奮闘によって成し得たものであり、何よりそれは自動車ビジネスの変革であった。トヨタ社内は、いよいよそれを認めざるを得なかった。その結果、2000年にトヨタ社内の反発を押し切って設立されたIT事業会社、ガズーメディアサービスは、2008年にトヨタメディアサービスとトヨタ名を名乗ることを許された。「ガズーメディアサービスを立ち上げた時は、トヨタ名を名乗る気もなかった。結局、トヨタメディアサービスになったのは、クルマが大きく変わってきたからだと思う。トヨタの車両が、我々の方に近づいてきた」と友山は述べている。
この10数年でクルマは大きく進化した。それをひと言でいえば「クルマのIT化」である。プリウスに代表されるハイブリッド車の場合、価格比で見ればクルマの47%は電子部品でできていた。そのうちの40%はソフトウエアである。そのソフトウエアをネットワークで更新する、そんな世界も目の前にあった。また、バッテリーを搭載する、EVやハイブリッドカーは、社会の電力マネジメントの端末としても注目されるようになった。それには、クルマと家、街をつなぐ、ネットワークが必要になった。いままさに豊田が予見した「インターネットと自動車事業が融合する時代」が到来しようとしていた。
そのような中、2009年6月、豊田章男がトヨタの社長に就任した。これにより、トヨタメディアサービスは好むと好まざるとにかかわらず、トヨタグループのIT戦略の表舞台に立つことになるのである。

逆風の下での船出。次々と苦難が押し寄せる

2008年にアメリカを震源として世界に広がったリーマンショックの影響は凄まじく、2009年3月期の決算において、トヨタは前年の過去最高の売上と営業利益2兆2386億円の最高益更新から一転して、過去最悪となる4610億円の営業赤字を計上する。この逆風下の中、社長に就任した豊田だったが、さらなる苦難が次々と豊田を襲うことになる。
2009年8月に米国カリフォルニア州サンディエゴでレクサスES350が走行中に制御不能になり4人が亡くなる事故が発生。これを発端に米国で品質問題が発生する。この問題は同年11月にはトヨタおよびレクサス車のオーナーによる集団訴訟に発展。2010年1月には全世界で444万台の大規模リコール。さらに2月24日には豊田が米国公聴会に出席して議会で謝罪することになる。
かねてから豊田は2000年代に入って急成長急拡大するトヨタの状況に対して危機感を持っていた。毎年、新年にはe-TOYOTA部とトヨタメディアサービスの合同で新年研修会が開催されていたが、2006年の新年研修会では「いまトヨタの兵站線は伸びきっている。こういう時は危険だ。今年のテーマは『安心と安全』だ」とことさら強調していた。この時に案じていた危惧が図らずしもこういう形で出てしまったのである。さぞや、じくじたる思いだったに違いない。豊田の悔しさは察するに余りある。
トヨタは豊田が公聴会に出席した2010年2月24日を「トヨタ再出発の日」と定めた。そして、グローバル品質特別委員会が立ち上がり、信頼回復へ向けて取り組みを強化した。

さらにこの後、追い打ちをかけるように、苦難は続く。トヨタ再生に向けた「トヨタグローバルビジョン」を記者発表した2日後、2011年3月11日に東日本大震災が発生。震災の被害と原発事故により、日本中が大混乱になった。トヨタのサプライチェーンが寸断され、国内工場の復帰に4ヶ月を要した。
また、8月から9月においては尖閣諸島の問題から中国で大規模な反日デモが発生。10月にはタイで大洪水があり、電子部品などの供給がストップし、再びサプライチェーンが被災した。さらに震災後、急速な円高が進み、2011年10月には1ドル75円台に到達。収益を大きく押し下げた。

トヨタ再出発の日記念に植樹されたシズカザクラ
トヨタ鞍ヶ池記念館にトヨタ再出発の日の記念に植樹されたシズカザクラ。豊田喜一郎邸に向かう小道の脇に植樹されている。

トヨタスマートグリッドプロジェクトの立ち上げ

そんなこんなで、2008年から10年にかけてトヨタはどん底にあった。そして、社員全員が危機感を持ち、急成長・急拡大期に生じたさまざまな緩みを正す。原点に帰って、泥沼から這い上がるべく、あがき、もがき、苦しみ、そして一歩一歩前に進んでいた。それはトヨタメディアサービスにとっても同じだった。友山は、「なんとか、我々が培ってきたノウハウを駆使して、トヨタの新しい未来に貢献できないか」と模索していた。
このようなトヨタ受難の時代の中、彼らが新たに立ち上げたプロジェクトがトヨタスマートグリッドプロジェクトである。プロジェクトのリーダーに任命されたのは、米国でトヨタ独自のテレマティクスサービスを開発・展開をやり遂げ、帰国したばかりの永井真澄であった。2009年12月末のことである。
永井はスマートグリッド(次世代送電網)についての知識はまったくなかった。「スマートグリッドって何?」という状態だったが、友山の指示は「スマートグリットの先進事例がたくさんあるアメリカに4年間、駐在していたのだ。だから永井がスマートグリッドに詳しくてもおかしくない。永井はアメリカでスマートグリッドを学んできたことにする。お前がリーダーでやれ」だった。またしても無茶苦茶な理由と無理難題が盛り込まれたアサインメントである。当然ながら、永井はスマートグリッドをゼロから勉強し、短期間で専門家の域にまで達しなければいけなかった。
そして、永井は帰国後まだ数日しか経っていないうちに、プロジェクトメンバーとともに、青森県の六ケ所村を訪問する。そこは一面の雪景色。真っ白い雪原の中に風力発電の風車が数基、ブンブンと回っているだけだった。

スマートグリッドというのは、情報通信技術(ICT)を活用した次世代の電力ネットワークのことだ。電力の流れを供給側・自給側の両方から制御し、最適化する。もともとは大規模停電に悩む米国で生まれ、2009年2月にオバマ政権がグリーン・ニューディール政策の柱として打ち出したことから、一躍、世界的に注目された。日本においては太陽光発電や風力発電など再生可能エネルギーの導入の鍵を握る技術として注目された。

ではなぜ、自動車メーカーのトヨタがスマートグリッドに参入するのか?というと、その背景には世界中の自動車メーカーが直面していた時代の大きな変化があった。それはクルマのEV化である。この時期、トヨタは「環境問題が深刻化していく中、今後、純ガソリン車は減少していかざるを得ない。将来を見据えて、PHV(プラグイン・ハイブリッド)やEV(電気自動車)を普及させていきたい」と考えていた。しかし、クルマはエネルギーを大量に消費する乗り物である。EVの場合、100km走るのに使う電力量は平均的な一般家庭の1日分に匹敵した。PHVやEVが普及すると、クルマの電力消費量が社会全体の30%を占め、しかも、特定の時間帯(8時ごろと18時ごろ)にクルマの「充電ラッシュ」が発生。社会のエネルギー需要に偏りが生ずることが予想された。
「いかに効率的に充電するかということを考えていかなければ、EVが増えることで社会に迷惑をかけてしまう。トヨタがスマートグリッドの研究に力を入れていたのは、その解決法を探るためでもあったのです」と永井は語る。
また、再生可能エネルギーの導入において、作った電気をいかに貯めておくかという「蓄電」ということがキーになる。大きな電池を搭載しているPHVやEVは「走る蓄電池」としての役割を期待されていた。つまり、PHVやEVが世の中の電力マネジメントの一角を担うことになる。トヨタは需要側だけでなく供給側も含めた両方向から、この問題に取り組む必要があった。さらに、「人とクルマと住宅をつなぎ、低炭素社会の実現とお客様の快適でクリーンなトータルライフのサポート」を目的としたスマートグリッドは、どん底にあったトヨタにとって、「2000年代の収益を優先した急速な業容拡大への反省」と「社会への貢献」につながる重要な取り組みのひとつだった。

六ヶ所村スマートグリッド実証実験をスタート

そしてなぜ、どう見ても門外漢な彼らがトヨタの中でスマートグリッドを担当することになったのか?それは「長年、G-BOOKの開発・展開で培ってきたテレマティクスの技術がスマートグリッドで応用できる」と友山が判断し、手を挙げたからであった。
3つの頂点に「ヒト」「クルマ」「社会」を配置した三角形の図。その中央にG-BOOKがある。「ヒトとクルマと社会をつなぐ」がG-BOOKのコンセプトであり、企画段階から友山の頭にはいつもこの三角形があった。G-BOOKによって確かに「ヒト」と「クルマ」を「つなぐ」ことは実現できた。次のテーマはそこに「社会」をつなぐことだった。それが実現したとき、G-BOOKは本当の意味で「ヒトとクルマと社会をつなぐ」となれる。だからこそ、スマートグリッドへの挑戦であった。
2010年に入り、永井はe-TOYOTA部の中に正式にプロジェクトチームを立ち上げ、まずトヨタ社内の関係部署と折衝し、社内推進体制を構築した。そして、社外の企業にもアプローチを開始。そして、2010年9月、風力発電事業を手がける日本風力開発株式会社、スマートグリッド技術を持つパナソニック電工株式会社(現在のパナソニック株式会社)、株式会社日立製作所、さらにグループ企業のトヨタホーム株式会社による完全な民間プロジェクトとして、青森県の六ヶ所村でスマートグリッド実証実験(期間は2年間)を開始した。それは風力発電と太陽光発電、蓄電池を組み合わせ、トヨタホームが建てたスマートハウス(ITによってエネルギー消費を最適に制御する住宅)が2棟、プリウスPHVの試作車8台による小規模なプロジェクトであった。しかし、国が主導する国策プロジェクトとは異なり、商用化に向けたスピード重視の体制となっていた。

スマートグリッド展の模様
2010年7月20日トヨタ本社、スマートグリッド展
現地視察の模様
青森県六ヶ所村の現地視察

トヨタスマートセンター構想を発表

そして、この取り組みを踏まえて、「住宅とクルマと電力会社をつないだトヨタ独自のエネルギーマネジメントシステムを作ろう!」ということになり、10月に「トヨタスマートセンター(TSC)構想」を発表する。
それは「TSCを中核に、トヨタホームが開発した『スマートハウス』で家庭での電力需給を管理し、各家庭の電力使用状況を情報センターで把握。さらに地域全体でCO2削減と費用負担の最小化を実現していくというものだ。具体的には、クルマ(PHVやEV)から送信されるバッテリー残量や住宅内の電力消費情報に加え、気象予測データや電力供給事業者の時間帯別料金情報などを総合的に判断することで、電力負荷の低い時間帯でのクルマの充電、太陽光パネルや家庭用蓄電池による自給電力を効率的に活用し、生活圏全体で電力需給を最適化するスマートコミュニティの形成を目指す」というものだった。
これに合わせて、友山は伊藤誠にTSCによって実現する近未来のイメージビデオを作成するよう指示していた。

「トヨタスマートセンター20XX年~君がいてよかった~」で描かれた世界、動画スクリーンショット
「トヨタスマートセンター20XX年~君がいてよかった~」で描かれた世界、動画スクリーンショット
「トヨタスマートセンター20XX年~君がいてよかった~」で描かれた世界、動画スクリーンショット
「トヨタスマートセンター20XX年~君がいてよかった~」で描かれた世界、動画スクリーンショット

「トヨタスマートセンター20XX年~君がいてよかった~」で描かれた世界。TSCを中心にクルマと家がインターネットで常時接続され、オーナー向けサービスが展開される。つながることでクルマがパートナーになるという近未来をフルCG映像で表現した。

こうして出来上がったのが『トヨタスマートセンター20XX年〜君がいてよかった〜』だった。そのビデオでは堅牢で巨大なコンピューターの牙城のようなTSCを中心として未来の街が作られ、TSCのサーバーには人工知能のような人格を持ち、スマートフォンを通じて会話で応答するマイ・エージェントがいる。マイ・エージェントはTSCのデータベースに常時アクセスして、日常生活ではサーバント(召使い)として、また、愛妻へのプレゼントの手配や音楽の選曲、レストランの予約などの場面では専門知識を持ったコンシェルジュとしてプリウスPHVのオーナーである主人公をサポートする。さらにTSCを通じて、ドライバーとクルマ、さらにはクルマとトヨタ販売店がつながっているというフルCGで描かれた近未来イメージビデオだった。ドライブ中はオーナーがハンドルを握り、降車後は自動運転で車庫に入るというのは実にトヨタらしい演出だった。

この動画は同年12月に開催されたATTT(国際自動車通信技術展/現在は国際オートアフターマーケットEXPOに統合)で発表された。動画が完成して会場に届いたのは発表当日の朝だった。そして、この動画が豊田の目にとまり、「これだ!これだよ。トヨタがやりたい未来は」ということになり、その場でトヨタのお正月の新聞全面広告はこのTSCでいくことになった。入稿締め切りの直前で急遽、元旦広告の差し替えが決まった広告代理店から伊藤に「動画のCGの素材を至急、出してくれ」と電話が入った。伊藤は何が起こったのかわからなくて驚いた。

実はこの動画の制作を指示された時、伊藤はトヨタメディアサービスを退職しようと考えていた。「せっかくもらった機会だし、この動画を僕の卒業制作にしよう」と考えた伊藤は旧知の制作スタッフを集めて制作を開始した。この動画の元になった動画は2002年にG-BOOKが登場した時、伊藤が中心になって制作し、それから数度にわたって改訂して、バージョンアップしてきたものだった。今回は「過去の動画の焼き直しではなく、ぜひ、フルCGで新しく作り直したい。クルマの未来をもう一度、描きたい」と友山に提案したが、与えられた予算も制作時間もフルCGで制作するにはまったく足りなかった。
しかし、伊藤は諦めきれなかった。制作スタッフに相談したところ、皆、短い納期、相場より安い料金で「いいよ、いいよ、やろうよ!」「面白いからやるわ!」と快諾してくれた。そして、公開当日の朝まで銀座の編集スタジオにこもって、スタジオのスタッフと喧々諤々、ちょっと喧嘩もしながら最終の編集を完了し、有明のイベント会場までDVDに焼いて持っていった。
伊藤としては、友山の考える「21世紀のクルマと人と社会のあり方」を動画の中ですべて描き切った自負があった。1つ目のテーマは「クルマのEV化、ICT化が進む中、社会システムとクルマがどう共生していくのか?」だ。次世代環境車がエネルギー需給などの観点から社会システムに組み込まれ社会貢献するようになることを伝えたかった。2つ目は「EV化やICT化が進んでもクルマはシロモノ家電のようにコモディティ化はしない」ということ。むしろ、パーソナルモビリティとしての多様性が加速することを伝えたかった。
前述したように、この動画が豊田の目にとまり、お正月の新聞広告にも採用された。それで、伊藤は会社を辞めることを切り出すタイミングを完全に失った。さらに年明けの重要なプレゼンでも動画が使われることになったのだ。そのプレゼンを皮切りに、北米も巻き込んだ新たな怒涛の日々が幕を開けるのである。

この章の登場人物

  • 友山 茂樹(ともやま しげき)
    トヨタ自動車役員・Executive Fellow、トヨタコネクティッド元代表取締役社長
    中国のGTMC総経理助理からトヨタに帰任後、2010年6月に常務役員に就任。2015年に専務役員、2018年に副社長に昇格。業務改善支援室時代から一貫して、「限りなくカスタマーインへの挑戦」をスローガンに、TPS(トヨタ生産方式)とジャストインタイムによる自動車流通改革、お客様接点の拡大とCSの向上に尽力してきた。GTMC出向から帰任後は、TPSの原点である「親孝行や社会への貢献」の精神に立ち返り、「限りなくカスタマーインへの挑戦」は継続しながらも「クルマと社会との共生」「未来のクルマのあるべき姿」「自動車メーカーのトヨタが社会に対してできること」を深く考えるようになった。トヨタのスマートグリッド戦略であるTSC(トヨタスマートセンター)構想もその一環から生まれた。
  • 永井 真澄(ながい ますみ)
    KDDI株式会社 執行役員
    海外展開や海外ビジネスの経験者として、2004年1月にe-TOYOTA部に引き抜かれ、グローバル企画室長。海外法務の経験を生かし、タイのDMAPや中国のBMTSの設立をサポートする。そして、豊田を委員長とするグローバルテレマティクス委員会を立ち上げ、米国、中国、欧州、豪州、タイの5つの地域でのG-BOOK展開計画を策定。2006年から米国に渡り、米国でのG-BOOKの展開にたった一人で挑戦する。そして苦労の末、2009年にトヨタ独自のテレマティクスサービスをスタートさせる。帰国後、TSCの立ち上げを担当。その後、シアトルに駐在して、現地のスタートアップ企業の開拓を担当。2017年からKDDIに出向。2019年にKDDIにおいてグローバル通信プラットフォームを構築。トヨタのコネクティッドサービスのグローバル展開を強力にバックアップした。
  • 伊藤 誠(いとう まこと)
    トヨタコネクティッド常務取締役
    トヨタコネクティッド・ノースアメリカChief Administrative Officer
    2007年4月にDMAP社長退任後、日本で企画部長就任。友山が新たに挑むTSC構想のビジュアライズ化を命じられビデオの企画制作に取り掛かる。TSCがどう人々の生活を変えるかを考え抜いた結果、これまでの動画の焼き直しではダメだと考え、全く新しい世界をフルCGで描きたいと友山に直訴。その熱い想いが友山を動かした。当時、藤井(雅)の部下のメディアラグ農本と制作協力会社を集め、未来の人物像やキャラクター設定をゼロから考え、何度も友山にダメ出しをくらいながらも発表直前ぎりぎりで完成させた。2015年にテレマティクス事業部長とスマートコミュニティ事業部長に就任し、動画の世界観を現場で実現していった。

著者プロフィール

  • 宮崎 秀敏(みやざき ひでとし)
    ネクスト・ワン代表取締役
    1962年、広島生まれ。1997年リクルートを退職後、ひょんな縁で業務改善支援室の活動に帯同。
    98年、同室の活動をまとめた書籍『ネクスト・ワン』(非売品)を上梓。会員誌の制作やコミュニティの運営などでGAZOO、G-BOOK、e-CRB、GAZOO Mura、GAZOO Racingなどの立ち上げに協力しながら取材活動を継続。